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蛭子能収のクズじゃない深い発言まとめ

蛭子能収という男

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みなさんこのオッサンについてどのようなイメージをお持ちでしょうか?

 


蛭子能収を超えるクズ そうそういない説

 

また、笑ってはいけない地球防衛軍でエリート塩大福の原料、エリート塩を生成していたのは多くの人の記憶に残っているのではないか。

 

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こうやってテレビでも特集されるように

「愛すべき、いや、もう愛せるかどうかもわからないクズ」として

世間一般に認識されているように思います。

 

しかし、この人、たまにいいこと言ってるんです。

今回はこの蛭子能収さんの意外と深い発言にスポットを当てていくという

イマイチ誰が得するのかわからない記事を書いてみます。

どうぞよろしく。

 

 本編

死生観について

寝たきりになって意識もないのに、人の世話になってまで生き続けたいと思わない。介護や看病されて過ごすのもまっぴらです。だって、自分が何より大切にしてきたのは自由だし、その自由を他人から奪ってまで長生きしたいと思わない。だから今の医学でも回復の見込みがない状態になったら延命措置をせず、その時を迎えます。

赤木しげるさんかな?

蛭子さんは日本尊厳死協会に入っているそうです。

 

死生観についてその2

「オレは死んでしまったら魂も意識もなくなってしまうと思っているんです。あの世にいったら亡くなった家族の元に帰れるんだ、という考えもありません。そんなオレのために生きている人がわざわざ墓参りに来て欲しくないですね。人の自由な時間を奪いたくありませんからね。オレが死んだら食べても良いですし、葬式で笑われても構わないですね。遺灰なんてそのあたりの土手でもいいし、道路でも川でも適当にまいてくれればいいですよ。死んだらもう自分としては意識がないんだから何もしてくれんでもいいですよ。親族も悲しがってくれなくていいです。悲しんでもらってもオレにはわからないんだから全然必要ないですね。」

あくまで今、生きている人たちが主役であると。

 

友達観について

 自由であることを第一に考えていると、友だちはいい存在である一方で、時には自由を妨げる存在にもなる。だから“誘われても断れる友達”以外は必要ない。友達の誘いだから断れないのはおかしい。誘いを断れないような間柄を友達というのなら、僕は友達なんていりません。

自由であるための友達がいればそれでいいんです。本当は。

 

集団行動について

昔の学生運動にしろ オウム真理教にしろ、最初は友達から始まったものが、行き着いた先は犯罪であり、殺し合いですよ。何人かが集まると、だいたいリーダーというか親分が出てきます。そういう人についていけば、考えなくていいから楽かもしれませんが、その先には死が待ち構えているかもしれない。これは恐ろしいことですよ。集団では個人の自由がなくなり、リーダーの命令を聞かないと叩かれる。自分で正しい判断ができなくなるんです。最近SNSなどでさまざまな人につながることが流行っていますが、一方で色々な事件も起こっていますよね。LINEのグループチャットで悪口を言われたひとりが、悪口を言っていた友達を殺してしまった事件とかね。最初は友達だったのに仲間割れしていく。だって人の考えなんてそれぞれだからね。それを無理やりまとめていこうとすると、最悪の場合殺人に行き着くことさえある。あんまり友達とべったり仲良くし過ぎると、将来敵同士になる可能性があるんです。

帰属感だけを求めて盲目的に他者に依存してしまう現代の集団への警告。

一方、趣味のグループなど限られた目的を持つグループには肯定的な考えを持っています。

 

タレント業での自分のキャラについて

自分が一番情けないことをどんどん見せて、他人が自分をバカにする態度を見て楽しんでいればいい。向こうはバカにしたつもりでいても、こっちはわざとバカにされるように仕向けているんだから、『あいつは自分をこういう風に見ているんだな』って逆に楽しめばいいし、バカにされることを受け入れた方がいいと思うよ。その方が、気がラクになると思うんだけどなぁ。そんで、自分は誰もバカにしないように気をつけてたらいいじゃん。それにバカにする人がいたとしても、そいつが自分をどう思ってるかなんてそんなに重要かなぁ。」 

つまり視聴者に笑われるキャラってのはすべて計算づくということなんですね。

わざとバカにされてあげることでそれを見る人は安心できるんですよね。

 

幸せアピールをする人たちについて

他人の幸せそうな姿なんて見て誰が喜ぶの?みんな不幸になるように呪いをかけてるかもよ。とにかく人にやっかまれることはしないほうがいい。絶対にしっぺ返しが来る。そもそも他人に好かれよう嫌われまいという気持ちが強すぎ。大体今日これ食べたとかどこに行ったとか、うちのネコちゃんが可愛いとか、要するに“私楽しい人生を送ってます”というアピールでしょ?。そんなもん誰も知りたくないし、どうでもいい。人間が知りたいのは他人の不幸。だから楽しいことは一切投稿するなと言いたい。

自分の幸せそうな姿はそれを見て幸せになってくれるような人にだけ見せればいいのです。その他大多数の前では自分の不幸を見せてそいつを幸せな気分にさせてやればいいのです。

 

なんで楽屋挨拶をしないのかについて

あいさつという行為そのものが、逆に相手の迷惑になってしまうんじゃないかって考えてしまうんです。別に礼を欠こうと思ってそうしているわけじゃないし、むしろ相手の貴重な時間を奪ってしまうことが怖い。

考えるすぎるがばかりに結局何にもできないってこと。 ありませんか?僕はあります。

 

なんだかNA◯ERまとめみたいなノリになっちゃったけどまぁ、いいか。

 

終わりです。