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あれからいろいろあって地域おこし協力隊になった青年の物語 僕と僕の周りのすべて

僕に20年間彼女ができなかった原因と対策~原因編~

先日、二十歳を迎えた僕は図らずも偉業を達成してしまった。

それは20年連続無恋人の達成である。

これはよくよく考えるとそう簡単なことではない。

 

僕の周りにはいろんなジャンルの人がいると自負しているのだが、
期間や回数、今現在いるかといったことはさまざまながらこれまで一瞬も彼女がいたことがないという人は片手で数えて指が余る程度にしかいない。
(それも実は僕が把握していないだけなのかもしれない。)

 

ここで、言っておきたいのは僕は決して特殊すぎる性癖や趣向を持っているわけではない。
むしろ普通だ。普通故に引っかかっているところもあるのだがそれは本編の話。

 

自分は積極的に結婚しようとは思わないが、恋愛はした方がいいと思っている。
「付き合ったことない奴は人間的に未熟だ、修行が足りない。」みたいな風潮は大嫌いだが、(それを言う資格があるのは「自身の修行のために付き合った」という人だけだ。)世の中の人の言う「愛の不思議」というものが僕の想像に収まるのか、それとも
想像以上のなんかこう、弁舌に尽くしがたい素晴らしいものなのかどうか。

僕には知る権利があるというものだ。

恋に落ち
恋に励み
恋が実り
恋に漬かり
恋に破れる

この一連のプロセスを一通り体験しておいてこそ、より広い見識で物事を考えることができるのではないか。

 

そういうわけで今回はここに至ってしまった原因とここから脱するための対策を考えていこうと思う。

 

と思ったけど原因が長くなりすぎたので原因編と対策編で二つに分けてお送りします。

 

こちらが対策編

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原因編

 

こっちから女の子に話しかけれないけどあっちから話しかけてくるような気の強い女の子はタイプでない

これは自分の努力で何とかできそうな矛盾である。

 

合コンとか出会い系も視野に入れるべきだが抵抗がある。不釣り合いだと実感しつつもロマンチックな恋がしたい。

ロマンチックな恋の対義語に合コン、出会い系を置いてしまうのはいささか視野が狭いと思われるかもしれないが、どちらも全くしたことのない人々にとっては映画やメディアの影響を受けてしまってこんな偏見を持つのも仕方のないことなのだ。

そして「今さら合コンで彼女作るぐらいなら中学の時に無理して彼女作ったわ

とでも言わんばかりの傲慢をさく裂させる。

これは決して自分を過大評価してるとかそういうことではなく、心を無にして需要と供給のみによって恋愛話の成立する空間に自分を置いたとしたらなんとかなったはずだ。と中学時代に挑戦しなかった者が妄想する。

(僕はこれを「ロマンチックに疲れたロマンチスト」と勝手に呼んでいる)

 

補足:なぜロマンチックに憧れるのか

趣向も多少は関係するし、何でと聞かれたら趣味だと答えるだろう。

しかし、そこには20年彼女ができなかったという失敗素敵な恋愛だと他者に認めてもらうという成功で埋め合わせたいという心理がはたらいているはずだ。

つまり、こじらせ期間が長くなると恋愛にも他者からの評価を求めてしまうようになる。

映画や小説で描かれ、大衆から「あんな恋がしたい」と思われるようにロマンチックな恋愛というのは他者からもてはやされる。そのちやほやが欲しくて仕方ないのだ。

せっかく20年も貫いてきたのだからそんな僕のもとにぐらい奇跡が舞い降りてもよかろう。というかそうでもしないと今までの分の元が取れない。

この逆説がますます状況を困難にしているのだが。
(詳しくは服部哲学「成功と幸せの二元論」「恋の三段階層説」で補足。)

 

理想が高いよって言うやつと恋は落ちるものだって同じ人が言うのっておかしくね?

「条件とか理屈とかそんなんじゃない、恋は落ちるものだ!」って言う人が

「それは、君、理想が高いよ。」って言うのはムジュンしていないか。

別に君の見解を聞かせてくれれば構わないのだが。

 

自由が脅かされるのではないか

恋人なんてできちゃったらあんまり意味わかんないことが出来なくなるのではないか。

家族なんてできちゃったら尚のこと。会社に家族を人質に取られ、安定を得るため、自由を殺し日々を転がす。

守らなければいけないものがあるというのは、生きなければならないという根性を生むが死んでもよいという自由を奪ってしまう。

(守らないといけないという考え方がすでに旧世紀的考えともいえるが、ここでは経済的な話だけをしているわけではない。例:両親が生きている間はあんまり危険なことができない。)

 

女の子と積極的に絡もうとするやつを見ると(必死かよww)とか思う反面、臆面もなくそういう行動ができるのが羨ましい

大学の飲み会で「春に別れたばっかでさぁー」を枕詞にひたすら女の子に話しかけまくる。(お前が寂しいだけだろwwこれだから人間強度の低い連中はww)とか思う反面、事実、その必死さは人の心を打つのだ。

 

また、そうやってひねくれた考えを持っているゆえに自分の番になるとできないのだ。

(服部哲学「4つの自分問題」で補足)

 

身長が低い、じゃなかった、高くない

これは遺伝。仕方ないけど身長170あったら絶対彼女できてたって。
しかもこないだ治験の説明会で身長測ったら縮んでたわ。辛い。じゃなかった、面白くなってきたじゃねーの。

 

自信がない

例えば仮に、本当に自分の一番好きな人に「あなたのことが好きです。」と言われたとして、今の自分は素直に「やったー!」と思えるだろうか。
否。「うわ、素敵な人だと思ってたけどこの人趣味悪っ」こういった感想に落ち着くのではないか。
どこまで卑屈なのかと思われるかもしれないが、じゃあ逆にあなたの持つ「俺のこういうところを世の女は好むだろう」という要素は
いつどこで、どのように得たものであるのか。誰かに言われたのか、他者との比較から推論したのか、思い込み(素晴らしいことだ)なのか。

 

今まで好きだった人のことを好きでなくなる心の過程が分からない。

「ずっと一緒に居ようね💛」とかなんとか、半月前までそんなこと言ってた人たちが破局する。
じゃあ半月前の発言は嘘なのかというとそうではないらしい。
しかしその次に付き合った人にも同じことを言う。それも心の底から。
今度は本当らしい。

いやいや、嘘じゃんそれは。

そういう意味では僕は目がハートマークになっている人間の言うことを心底信用していない。

 

いいところばかり見せたいがそれでは自分が安らぐ恋はできない

僕は見栄っ張りだ。彼女には自分のいいところばかりを見せたい。そうでもしないと好きでいてもらえてる自信がもてない。

でも、そんなことでは自分にとって心の安らぐ恋愛はできない。

きっとそれは行動や態度に表れ亀裂を招くだろう。

 

実は、初恋は実らないべきなのだ。

 

 最後はちゃんとフラれたい

自分で言うのもなんだが、僕はたぶん恋人に依存しまくるタイプだ。
その人の中に「神なるもの」を見つけるだろう。
自分の好きな人が自分を好きでいてくれるということは自分のすべてを無条件で肯定しうるものであり、「神なるもの」に他ならない。
辛かったことも無意味だと思われたことも今の自分を作っていて、その自分を僕の好きな人は好きでいてくれている。
フラれるというのはこの信仰が音を立てて崩れようというのだ。
想像するだけで恐ろしいことだ。
一週間ぐらい家から出れなくなり食事も喉を通らないかもしれない。
しかしその「神の喪失」は自分を成長させてくれるに違いないのだ。

 

これを経験したい。

 

そうすると相手に求める条件としては

自分より素敵な人に出会ったら罪悪感に苛まれることなくより劣った方をすっぱり切り捨ててくれるような人がいい。恋人に気を使ってより良い方向へ向かえないこととか、嘘をつかせてまで浮気したりだとかはして欲しくない。

大体、嘘をつく女の子よりも好きな子に嘘をつかせないといけない状況にした方が悪いのだ。(服部哲学「嘘の源泉」で補足)

 

「私、他に好きな人ができちゃったの。」

「そうなんだ、幸せにね。ちゃんと言ってくれてありがとう。」

その時、気丈に振る舞った人間はどれだけ成長できるだろうか。

ところで、僕は自分に哲学的契機を与えてくれるものすべてに感謝をするようにしている。

 

コスパを考えすぎる

僕は恋愛対象にも平気で維持費とかコスパとかの考えを持ち出せます。 

 

可愛い子、いい子には彼氏がいる

冒頭にも触れたように僕はいたってまともな趣向を持っている。

それゆえ、普通に僕がいいと思った子には彼氏がいるのだ、いや、いるに違いない、そもそも聞くことすらおこがましい!というか恋人がいますか?なんて質問は告白と同義ではないのか!?

 

いつかtwitterで見たアイデアだが

彼氏がいる子にはRPGでの選べない選択肢のように頭上に名前がグレーで表示されてればいいのだ。

もっと言えば彼氏がいたことない子は名前の前に!マークでも付いてればいいのだ。

 

こんな記事を平気で書いちゃう

いや、もしかしたら平気ではないのかもしれない。

だけど、この誰も得しない感じは嫌いじゃない。

ともあれ、もしこの記事を見てそれで、僕のことを恋愛対象として好きだと言う者が居るようならば軽く引く。いや、むしろドン引きです。

 

こんなにもさまざまな疾患を背負った人が彼女を作るにはどうするべきか!

対策編に続く。