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武者小路実篤「友情」を読んで泣きそう

帰省の電車で読んだ武者小路実篤の「友情」について。

 

泣きそう。

 

感動したとか悲しいからとかではない。

 

登場人物があまりにも等身大なのだ。

 

分かるよ、分かるよ、その気持ち。

 

だけど最後はそうなっちゃうんだよね。

 

薄々気づいてるんだけどね。どうしようもないよね。

 

登場人物はみんないい人だ。クズは誰一人いない。

 

しかし、それでも、勝者は一人しか許されない、三角関係の不条理さ。

 

友情は恋によって深まり、恋によって破れる。

 

その様がグロテスクとまで言えるほどなリアルで表現される。

 

そんな「友情」と素晴らしい表現の数々を紹介しよう。

 

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3行で分かる「友情」のあらすじ人物相関図

 

友だちの妹に一目ぼれ。マジ天使。

 

親友に相談したら応援してくれるって!嬉しい!

 

いろいろあってその娘と親友が引っ付いた。チクショー!

 

分かるだろうか、ストーリー自体はなんの変哲もないただの三角関係なのだ。

 

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出てくる人物もこれだけ。

 

別に怪獣も戦車も出てこないし誰かと中身が入れ替わったりもしない。

 

そんな言ってしまえば地味な作品が大正の時代から現代まで名作として受け継がれるのはなぜなのか。

 

素晴らしき表現の数々

女は彼にとっては妻としてよりほか、値しないものだった。結婚が彼にとってすべてであった。女はただ自分だけたよってほしかった。

野島の恋愛観について

こじらせてんな~

 

 
「わたしはあなたを信じています。あなたは勝利を得る方です。・・・寂しいときは私がついています。しっかり自分の新ずる道をお歩きなさい。・・・」

杉子がこんなこと言ってくれたらなぁという野島の妄想 

これは乗り越えられる。

 
 
恋が盲目というのは、相手を自分の都合のいいように見過ぎることを意味するのだ。
仲田のセリフ 
名言でました。
 
「あんまり恋しすぎるということは弱点だ。なんだか独立性がなくなったようで、魂を何かに預けているような不安を感じる。…」
確かに。恋愛とは魂の預け合いなのかも。
 
野島が一人風邪をひいて部屋で寝ていると隣の部屋に杉子たちが遊びに来ているときの一節
大宮も笑う、武子も笑う、仲田も笑う、杉子も笑うのは当たり前だ。しかし野島は杉子にだけには笑ってもらいたくなかった。
 
杉子の大宮に宛てた手紙で、
野島さまは私というものをそっちのけにして勝手に私を人間離れしたものに築きあげて、そして勝手にそれを賛美していらっしゃるのです。…
 ほーら。言われてやんの。
 
これまた杉子の大宮に宛てた手紙から
…世の中では女に生まれても、本当の女の喜びを味わうことができない人が多いように思います。むしろ本当の喜びを知った人は甚だ少ないと思います。私もあなたに逢い、あなたと話し、貴方と一緒に遊んだり笑ったりするまではこの世にはこんな喜びがあり、人間がこんなにまで喜べるものかということを知りませんでした。知らないうちはよろしい。しかし一度知った以上はそれを失っては生きてはゆけないような気がします。… 

 

大宮の手紙より。

…尊敬する友と女の奪い合いをするのがあさましく見えた。その女の周りに多くの男があさましく集ってその女を女王のように大事にして、肉欲を隠した衣を着た狼の仲間入りするのが嫌でもあった。...

 現代でこういうこと言ってると一生童貞だぜ。

 

 
わが愛する天使よ、パリへ武子と一緒に来い。お前の赤ん坊からの写真を全部おくれ。俺は全世界を失ってもお前を失いたくない。だがお前と一緒に全世界を得れば、万歳、万歳だ。

大宮、ついに開き直る。 

 

さいごに

平坦に紹介してしまったが途中途中、白熱ピンポン編やのんびり別荘編などありじっくり読むことのできる作品だと思う。素敵な言い回しや見事な心理描写を味わってみてはいかが。それほど長くないし。

 

そんな武者小路実篤「友情」是非読んでみてください。

 

 

終わりです。