72の場所

あれからいろいろあって地域おこし協力隊になった青年の物語 僕と僕の周りのすべて

夢はショボいけど野望はスゲー気がする。なんでや!?

野望ってかっこいいよね!?

 先日ブロカレ名古屋オフ会にて

多くの起業家に会い、話し、応援をしている宮森はやとさんが

「夢を語る奴はたいしたことないが、野望を語る奴はスゲー奴が多い。実際野望って言ってる人の方が成功してる。」

 と語っていました。

 

うーん、確かに。

なんとなく夢より野望の方が行動が伴ってる感じがするぞ。

 

ギレンの野望じゃなくてギレンの夢だったらシュミレーションゲーム感ゼロ。

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ということでお得意(調べるのが好き)の語源からこの感じの根元を探ってみることに。

 

 

夢の成り立ち

夢には大きく二つの意味があります。

 

寝て見る夢と起きて見る夢です。

 

英語のdreamにも

睡眠中に見る夢と将来の願望である夢の二つの意味があります。

 

おお、なんという言語のロマン。
奇跡的な偶然の一致ではないか!

 

と思った方々には申し訳ないのですが
これは仕組まれた必然の一致なのでした。

 

明治時代、西欧からいろいろな概念が入ってきた際、
日本のお偉いさんや知識人たちは、英語の言葉を日本語に頑張って訳すわけですが、

そこで、西欧諸国にいち早く追いつくために

できるだけ早く西欧の概念を取り入れなければ!

と考えました。

 

そのためには国民に新しい概念を覚えさせる労力をできるだけ抑えたい...

 

そうして考えられた工夫が
「もとある日本語を再利用するエコ翻訳」でした。

 

つまりこの場合、
英語のdreamが持つ「寝て見る夢」「起きて見る夢」の二つの意味を訳すのに

新しく「起きて見る夢」の意味を持った単語を作るのではなく、

「寝て見る夢」の意味を持つ日本語の夢に新しく「起きて見る夢」の意味も付け加えたということなのです。


そんなわけで夢という言葉に「将来の願望や理想像」という意味が加わったのはほんの19世紀のことだったのです。、

 

さらに英語のdreamも元々は「喜び、楽しみ、音楽」という意味の言葉からの派生であり、特にそのdreamをどうにかするために何かするといった意味は含まれていないのでした。

 

(ところで漢字の夢は寝目(いめ)から来た言葉であり、見るからに思いっきし寝てますね...)

 

野望の成り立ち

Boys, be ambitious.でおなじみの
"ambitious"。これはambition「野望」の形容詞形。

 

ambitionの語源はambi+ireから成ります。

 

ambi-は「両方」とか「周囲」といった意味の接頭語で

 

よく見かける英語だと

ambiguous「あいまいな(←左右どっちつかず)」

ambivalent「相反する感情(←両方の価値)」

あとはambi-がamphi-に変化したパターンとして
amphibian「両生類」

などに見られます。

 

ireは「行く」という意味。
そういえばラテン語系の言語のスペイン語では「行く」は"ir"です。

 

そしてambi(周り)+ire(行く)→ambire(歩き回る)という意味の動詞が出来ました。

 

ここからどうして「野望を抱く」になったのか。

 

それは古代ローマ時代。

出世をしたいと野心を抱いた人々は有権者の家々に自分に投票してもらえるよう頼んで歩き回りました。

今の政治家が選挙カーで投票を呼び掛けるように。です。

 

なので

 

歩き回る人→野望を抱いた人

歩き回る→野望を抱く

と発展したのです。

 

こうして考えると野望ambitionは歩き回る=行動が先だって出来た言葉であり、自然と「こいつはマジでやりそうだ」というイメージにつながるのでしょう。

 

おわりに

今回いろいろと調べたのはあくまで言葉の話。

「夢って言ってるけどちゃんと行動してるし」って人ももちろんいるでしょう。

だけど言霊思想って言うように、選ぶ言葉で未来が変わる。なんてこともある。

ということでね、

 

夢っていうぐらいだったら思い切って野望って言おうぜっ!

 

 

せーの!ドリームアンビシャス!!!!

 

おわりです。